基本プロフィール

行政書士 乗越 悠生

ノリコシ ユウセイ

YUSEI NORIKOSHI

また会いたくなる行政書士は北九州にいます

乗越士所には、「また会いたくなる行政書士」がいます。
数ある行政書士事務所から当事務所へご相談・ご依頼いただいた方へ納得・安心・価値をお届けすることが、私たちの使命です。
北九州から日本一の行政書士事務所を共に創り上げましょう。

学歴

  • 福岡県立行橋高等学校 卒業

経歴

  • 航空自衛隊一般空曹候補生 最終階級 空士長
  • 令和5年1月  令和4年度行政書士試験 合格
  • 令和5年6月  行政書士登録 当時最年少(20歳5か月)
  • 令和5年11月 特定行政書士試験 合格 特定付記
  • 令和7年9月  行政書士乗越士所 開設

私の人生

幼少期

私は、福岡県北九州市で屋根工事を営む父と専業主婦の母の間に長男として生を受けました。
18歳で自衛隊に入るまでは、一度も北九州市から移り住んだことはありません。

青年期-この”国”の守りからこの”街”の守りへ-

航空自衛隊編-航空教育隊でのくらし

コロナ真っただ中の18歳のときに航空自衛隊に入隊。

人生で初めて親元とふるさと”小倉の街”を旅立ち、単身で山口県防府市へ。

防府市には、航空自衛隊の教育機関(いわゆる「教育隊」)があり、幹部以外の航空自衛官のうち西日本出身の者は皆、ここに集います。
この教育隊での生活は、今まで体験したことがないくらいストレスフルでしたが、そこで出会った仲間たちの支えもあり無事に課程を修了。

職種(自衛官としての役割)を拝命し、新天地、福岡県芦屋町へと異動するのでした。

航空自衛隊編-つかの間の福岡でのくらし

芦屋町には、航空自衛隊芦屋基地があり、その中に第3術科学校という職種指定を受けた自衛官に専門的な技能を付与する学校があります。
私は、そこでおよそ2か月ほど在籍し、技能を学びました。

実に4か月ぶりくらいに福岡に帰ってくることができウキウキだったわけですが、先述の通り、コロナ禍真っただ中でした。
そのため教育隊よりは確かにラクにはなりましたが、それでも制限が多く、不便だなと感じていたことを今でも思い出します。

この第3術科学校では、1つ私たち男性自衛官がソワソワしてしまう伝説のイベントがあります。
それが「術校ラブ(ジュッコウラブ)」です。

先ほどの防府では、「死んでも女性自衛官と目を合わせるな」と言われるレベルで女子との接触機会がありません。
しかし、術科学校では、男女が混合で技能を学ぶため、変な話そういうアツい関係になりやすいのです。

私もこの話に期待を胸いっぱいに膨らませて赴任したのですが、結果、そういう機会には恵まれませんでした。

航空自衛隊編-新天地「宮崎」そして

芦屋基地での教育課程も無事修了し、いよいよ自分の部隊が指定され、赴任することになりました。
その赴任先こそ、宮崎県でした。

同じ九州内とはいえ、芦屋基地でのそのままの所属か同一県内の築城基地を希望していた私からすれば、何とも言えない気持ちになりました。
こぼれ話ですが、自衛隊内は九州出身の隊員が多く、九州は人気の任地のため枠が少ないです。
そのため九州に居れただけ実はラッキーです。


宮崎での暮らしは本当に楽しくて、充実していたのですが、自衛隊を辞めた過ぎて結局退職。在籍は1年とほんの少しでした。

行政書士試験編-「これからオレどうなるんやろ」から始まる挑戦

思い付きで自衛隊を退職し、実家に戻ってきたわけですが、何もしていないプータローがありつけるご飯はありません。
働かなければならないのですが、自衛隊生活の中で「組織の中での生活」に向いていないことに気づいたため、一念発起。